禍福終始を知って迷わず

2020年2月17日

昨日と引き続き、安岡正篤先生の「知命と立命」からの話になりますが、儒教は、孔子のあと大きくは、孟子の「性善説」と荀子の「性悪説」に分かれたようです。

荀子の「性悪説」は、何やら人を伺って疑ってかかるようで、ネガティブな捉え方をしていましたが、人間というものは教えないと悪いほうへいってしまうという人間社会の「現実」を観察して、学ぶことの大切さを伝えたかったようである。

何故人は学ぶことが大切であるか、それは「心に不安動揺が生じても、それが直ちに自分の人生に響くか、響かないか。心の平静を失って、そのため仕事も何も手につかなくなることがありはしないか。たとえいろいろの不安困惑をが生じてもそれを抑え、それを処理し、平然として変わらずに仕事ができるかどうか、これは人格を決定する。」と説いています。

経営者は、自分の力では及ばないところで、様々な苦難が襲いかかることは避けられないと思います。

ということは、上述の「これは人格を決定する。」は、「これは会社の未来を決定する。」に置き換わるかもしれません。

経営者は、経営が苦境に立ったとき、「禍福終始を知って迷わず」といった心構えが求められるように思います。

その為にも、日ごろから、善い人・善い本等に接して「学ぶ」ことが、いかに大切か考えさせられます。

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